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by matsumo54
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どこでもいいからブラブラ歩きたいー
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# by matsumo54 | 2008-02-21 01:51 | P
---a-3---建築することについて
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家の前のバス停。高校生のときは毎朝7:00のバスをここで待ってた。

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中学校。裏庭の窮屈な空間がお気に入りだった。


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上の写真の向こう側から。今見てみると、西沢大良的な屋根の光がキレイ。笑


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非常階段。一階と二階の間の踊り場がちょうどいい高さで好きだった。


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卒業設計で、誰かの街を完全に解体してみて思ったこと。誰かにとっての思い出の風景を消し去ってしまうのは残酷なことの1つだなということ。

ただ、残酷だから即悪いという安易な考えはしたくない。だからといってむやみやたらに残酷なのが正しいわけではないけど。


現代社会で建築を行うことは、何らかの残酷さを引き受けることである。ということがわかった。建築をすることはそういう自分の残酷さと常に向き合う行為だと思う。

そして近代以降の(あるいはそれ以前も?)建築家は、建築という残酷な行為に、それに見合う価値をどこからか引っ張りだしてくることで、自分の救済をする。たとえ元を正せば根拠の無い意味であっても、そうでもしなければ、たぶん発狂すると思う。


そういうことを考えたが、今すぐどうしようという考えは全く見当たらない。というか、どうこうすべきなのかすらわからない。

ただ、建築をこれから続けるなら、自分を救済するためのボキャブラリーをとりあえず手に入れなければならないなー、ということは、ヒシヒシと感じる。

幸いにも、僕はまだ残酷な行為を行使するにはまだまだ年月があるようだし、じっくり蓄えていこうと思う。


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# by matsumo54 | 2008-02-20 04:58 | A
---n-6---ROMA
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この人達はなんでこんなにたくさん、同じ場所に来るんだろう。


と、考えてしまうほど、異様な風景の広がっていたローマの都市。



ローマという都市にはいろいろ歴史的に重要な建築とか町並が溢れかえっているんだけど、そういうものはほとんど問題にならないくらい、多国籍な人間の大集団が作り出す、異様な風景が興味深いと思った。



ローマみたいな歴史的な厚みをもった都市が、情報と化し、大衆に消費されるという傾向を嘆くような意見は世界中で語られてるし、なんとなくそのような気持ちもわかるんだけど、それとは別の話として、情報の持つ力はすごいな!と思わされる。

ローマは、生活の場であった都市を、情報をストックする場所にしてしまったと思う。それに対する倫理的な意見は抜きにして、単純に都市の活力という観点からいうと、ローマはすごいパワーを持ってる。


ローマの後を継げと言う気は全くないけれど、それでもこれからの都市は、もっと、リアルな土地とかとは離れた部分(バーチャルな領域とか)も常に一緒に考えていくことが大切になってくるんではないかなというふうに思う。
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# by matsumo54 | 2008-01-26 23:17 | N